当記事執筆の想い
「ポリヴェーガル理論は死んだのか」という衝撃的なタイトルに関して。
少なくとも私なりに津田さんの超ダイジェスト記事の理解を試みること。
そして「一人の臨床家として」どう血肉とし、行動指針とするか。
自分の価値観の振り返りをしたい。

うわあああ難しい。すごく噛み砕いてくれているはずの超ダイジェスト版が、理解できている気がしない
当記事のきっかけ
津田真人さんのご寄稿
緊急特別寄稿 ポリヴェーガル理論は死んだのか⁉ 〜2026年 ポリヴェーガル論争を読み解く〜 超ダイジェスト版|津田真人 2026年8月25日
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を斜め読みして、「心に何かひっかかりがありつつ最近まで拝読せず」のモヤモヤ。
尊敬する臨床家のお一人にして大切な友人との雑談
動作法、心理劇、ソマティック・エクスペリエンシング®︎などに関して尊敬する臨床家のお一人にして大切な友人の上地信乃さんとお目にかかって、雑談の中で出てきたこと
信乃さん「津田さんとさ、お話していてさ。誰が悪いとか正しいとかじゃなくて、これきっと、お互いの理論の発展とか、そういうのにきっと役立つはずだから、私にはできないから、せっかく長年、熱心に科学者として、臨床家としてやってきた津田さんが日本語で書いてくださったんだから、当事者に届く英語で書いてくれたらいいのにっていう気持ちを話したんだ〜(永田フィルター&意訳注意)」
記事執筆の支えとなった津田さんの言葉
本来,批判は非難とちがって,向上と創造の触媒にほかならないからだ。非難は相手を粉砕しようとする。批判は事態を進展させようとする。非難は恐怖に基づく闘争である。批判は信頼に基づく共創である。
緊急特別寄稿 ポリヴェーガル理論は死んだのか⁉ 〜2026年 ポリヴェーガル論争を読み解く〜 超ダイジェスト版|津田真人 2026年8月25日より

つまり、私の知識不足、表現の誤り、などはきっとあるだろうけれど、記事を出すことにより受ける批判は、信頼に基づく共創、と自分を奮い立たせて、えいやと記事を書いてみたいと思います。
本記事の背景
2026年2月、専門家の間でひとつの大きな衝撃が走ったとうかがいました。
精神生理学者のポール・グロスマン氏らが
「ポリヴェーガル理論(PVT)は科学的エビデンスに基づいて擁護できない」
とする批判論文を発表されたそうです。
「これまで学んできた理論は間違っていたの?」「セラピーの現場で使ってはいけないの?」と不安を感じたセラピストやクライアントの方もいらっしゃるかもしれません。
私自身、トラウマケア(SE™)や身体感覚を大切にする心理カウンセリングに携わる者として、この論争をどのように捉え、目の前の臨床にどう還元していくべきか、考えさせられました。
ただ、論争の全てを直接読み解く力が今の私にはありません。
そこで今回は、ポリヴェーガル理論の解説者として知られる津田真人先生の緊急寄稿(シンリンラボ)で示された視点を参考にしながら、1人の臨床家としての思いを言葉にしてみたいと試みたいと思います。
試み1 永田なりの「津田さんのご寄稿を読むための必須キーワード解説」
2026年論争の「何が議論されているのか」の構造を捉えるための用語集を作ってみる試みです。
生命現象の3つの層(第1層・第2層・第3層)
一言解説: 身体を「形や構造(第1層)」「働きや機能(第2層)」「生活や心・社会(第3層)」のどこから見ているかという視点の整理
- iphoneに使われている部品は、何がどこに物理的にあるのか(第1層)
- ・iphoneはiosによって、どうプログラム動かして、使う人間にどういうお役立ち機能が実際に動くのか(第2層)
- iphoneを使って、SNSやオンライン会議、LINEでのコミュニケーションはどうやって、人間同士にどんな意味があるのか(第3層)
の違いのようなものではないでしょうか。
- 目は顔のここにあって、こういう素材でできていて、こんな形をしていますよ(第1層)
- 目は光を取り入れて、その情報を脳に送って、脳が、「私は今何をみているか」を理解する(第2層)
- 相手の顔、今の文脈、この場所はどんなところか、そういったところから、どう自分は振る舞い、どう行動を選択するか決めるための情報収集(第3層)
構造決定論 vs 機能システム論
一言解説: 「部品の形が全てを決める」とする見方(グロスマン氏らの立場?)
と、
「生き物が環境に適応するために部品をどう組み合わせ・活用しているか」を見る立場(ポージェス氏の立場?)の違い?
外適応(がいてきおう) / 再利用(リパーパス)
一言解説: もともと別の目的で使われていた身体の部品が、進化の中で「新しい目的」のために使い回されること。
例: 鳥が、防寒用だった「羽」を、「飛ぶため」に使われるようになっていった。
- 元々、鳥が寒さから身を守る防寒具だった「羽」(羽毛)
- 羽を使って、「空を飛ぶため」に使われるようにもなっていった。
私たち人間で言えば、例えば呼吸や循環の神経が「人と安心のやりとりをするため」に使われるようになっていったこと、でしょうか。
NA(疑核) と DMV(迷走神経背側運動核)
一言解説: どちらも延髄(脳幹)にある迷走神経(脳の神経の一つ)の出発点。
NAは「胸から上の安心・表情・心拍」を感じたりコントロールするのに関わる。
DMVは「お腹の内臓・身体の省エネ・緊急停止」を担当する。
試み2 永田なりに論争の背景と「臨床的意味」を深めるための「関連キーワード」づくり
なぜこれが私たちのセラピーや日々の安心感(身体感覚)に関わってくるのかをつなぐ用語集を作ってみる試みです。
ニューラル・プラットフォーム(神経の舞台)
一言解説: 私たちの感情や人間関係が繰り広げられる「自律神経の土台」のこと。
- どんなことが表現され、伝えられるかが演劇の醍醐味の一つ!
- ただそもそも、演劇の舞台がぐらぐらして立てなければ、演技どころではない。
- AIや効率的な機械を使ってバリバリといろんな役立つものを生産するのはとても大切!!
- ただ、そもそも満足に食事ができない状態では生産どころじゃあない。その日の安全やご飯で精一杯。
人間が人間らしい営みができるために、自律神経の土台が安定していることが、心の安心のベースになる、ということでしょうか。
社会的関与システム
一言解説: 目、耳、表情、声のトーンなどを通して、人と「ここは安全だよ」と確かめ合い、つながるための身体の仕組み。
おそらく、ポージェス博士が大事にしている、「第三層」のところ?
↓個人的おさらいざっくりとしたイメージ↓
目や耳といったパーツがこういう作りをしていて物理的にここに配置されて…(第一層)
光刺激を取り込む、音刺激を取り込む(第二層)
そうした情報収集と表現方法を工夫して、お互いに社会的な営みに活用する(第三層)
「フリーズ」と「シャットダウン」の違い
一言解説: どちらも動けない状態ですが、フリーズは「アクセルとブレーキを同時に思い切り踏み込んで身体が固まっている(緊張)」状態、シャットダウンは「電源が完全に切れて脱力している(崩壊)」状態です。
協働調整(きょうどうちょうせい / Co-regulation)
一言解説: 一人だけで落ち着こうとするのではなく、安全な誰かの存在や雰囲気を感じることで、一緒に自律神経を落ち着かせていくプロセス。
だからこそ、支援者自身の在り方がとても大切だと私は考えます。
試み3 永田なりに、津田さんのご寄稿を理解することを試みる。
そして、一人の臨床家として、その理解をどう臨床に役立てるか試みます。
うわ〜、どきどきする。
理解の試み部分は、要するに津田さんのご寄稿ほぼ棒読み状態です。
「正しさ」の勝ち負けではなく、見ている「層」の違い
津田先生の解読によれば、この論争は単なる「どちらが正しくてどちらが間違いか」という二項対立ではありません。
生命現象のどの「層」を重視しているかという科学観の違いから生じていると整理されています。
解剖学・構造を重視する立場(グロスマン氏ら)
神経や器官の歴史的・物理的な構造(第1層)を厳密に検証する立場だと考えられます。
「有髄迷走神経などは哺乳類以前から存在する」という解剖学的な事実は非常に正当であり、理論の厳密さを高める上で欠かせない視点です。(ご寄稿棒読み状態です)
心理社会的機能・現実の生を重視する立場(ポージェス氏)
生き物が社会や環境の中でどう関わり、どう反応するかという適応や安心感(第3層)に焦点を当てる臨床的な立場です。
古くから存在する解剖構造が、哺乳類の進化の中で「社会的関与システム」として新たに再利用(外適応)されたという機能的な側面を描き出しています。
解剖学的な厳密さ(第1層)と、現実の生や安心感を支える臨床的有用性(第3層)は、どちらかを排除するものではなく、互いの欠けを補い合う相補的な関係にあります。
身体の部品が進化の中で新しい役割へと使われていく「外適応」の感覚については、以前参加した『原始反射と背骨から辿る「生き物としての私」〜アニマル進化体操ワークショップに参加して〜』でも、「進化とは古いものを捨てるのではなく全てを取り入れていく過程である」と身体を通して体感したことと重なるような気がします。
非難ではなく、信頼に基づく「共創」へ
津田先生のご寄稿の中で、私の心に深く響いた言葉があります。(再掲)
本来,批判は非難とちがって,向上と創造の触媒にほかならないからだ。非難は相手を粉砕しようとする。批判は事態を進展させようとする。非難は恐怖に基づく闘争である。批判は信頼に基づく共創である。
相手を打ち負かすための「非難」ではなく、事態をより深く進化させるための「批判」として受け止めること。
これは、自律神経研究がより洗練された「生物・心理・社会モデル」へと進化していくための絶好の機会なのだと感じます。
そしてその虎の威を借りているのが私です。
ソマティックアプローチの実践者として大切にしたいこと
この論争を経て、私自身が臨床の場で改めて大切にしたいと感じていることが3つあります。
理論を絶対化せず「しなやかなモデル」として使う
「脳や神経が解剖学的に100%こうなっている」と絶対正しい教科書とするのではなく。
クライアントさんがご自身の身体感覚や「大丈夫ゾーン(レジリエンスゾーン)」を育むための柔軟なガイドマップとして活用することを大切にしたいです。
※この「大丈夫ゾーン」を育むセルフケアの工夫については、『心の「大丈夫ゾーン」を育くむ〜臨床現場から学んだセルフケアのヒント〜』の記事でもご紹介しています。

「生き物としての試行錯誤」を共に慈しむ
身体の進化とは、過去を切り捨てるのではなく、すべてを取り入れて深まっていく過程だと感じます。
例えば、頭で分かっていても身体がうまく動かない時など、「ダメだ」と自分を責めるのではなく、「こうかな?」と試行錯誤する純粋な探索を共に大切にしていきたいと考えています。
専門用語に回収せず「その人の言葉(クライアント語)」を聴く
頭での理解以上に、身体が感じる感覚は一人ひとり異なると感じます。
専門用語で簡単に言い換えることなく、クライアントさん自身が紡ぎ出す言葉や身体の微細なサインに耳を傾ける姿勢を持ち続けたいと思います。
そしてその試みには、きっと間違い、すれ違い、そういったものもたくさんあると感じます。
セラピストである私が正しい、ではなく、クライアントさんその方に真実があると常に立ち帰ります。
※津田真人さんがラジオ番組に出演された際に語られていた「その人の言葉(クライアント語)に宿る人生の重み」については、『言葉に宿る人生と、身体が感じる「安全」〜ラジオ番組からの大切な気づき〜』の記事でも触れさせていただきました。

おわりに
臨床の現場において、「完璧な理論」が存在するわけではありません。
だからこそ、1人の心理士として、今目の前のクライアントさんの神経系に何が起きているのかを感じ取り、時には間違えたり迷ったりしながらも、共に探求し試行錯誤を重ねていく姿勢こそが大切なのだと改めて感じています。
そしてその実現は、理論への理解を深めていくこと、クライアントとの毎回の出会いを大切にすることの積み重ねを永遠に続けることが必要だと、改めて自分自身に伝えます。
加えて、「自分自身が整うことで、周りも整っていく」という協働調整のつながりを信じて、これからも丁寧に向き合っていきたいと思います。
支援者自身がまず自分を整えることの大切さについては、支援者仲間と開催したチャリティイベントの記録『支える人が「じぶん」から始めるケア|仲間とのチャリティのご報告』もぜひご覧ください。



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